祭典・行事
神社の新しいかたち
神社はいつも身近な存在でありたい
神社で行われる様々な祭祀や習わしは、古来日本人の生活や思想に由来するものです。五穀の豊穣や天下の泰平を祈り、人生の節目を祝い、神輿や神楽に興じる人々の様相は、「日本らしい文化」の象徴といえます。
「神社は特別な場所ではなく、地域の人たちにとって身近な存在でありたい」
目まぐるしく変化する社会の中で、時代にあわせた形で親しまれ、気軽に訪れることが出来る場所として、これからの神社の新しい形を探し求めています。
元旦祭
1月1日
新年を寿ぎ氏子・崇敬者の平安と地域社会の繁栄、ひいては国の隆昌を祈念するお祭り。
一月一日午前零時に斎行されます。太鼓の合図とともに多くの参拝者が鈴を鳴らし新年の祈願を行います。
毎年寒い中、整然と参列の長い行列ができます。日本人ならではの光景に頭が下がります。
元始祭
1月3日
年の初めに当たり神恩に感謝し、日本の大元である天津日嗣(あまつひつぎ 天皇の御位)の無窮と国運の隆昌を祈願するお祭りです。
どんど焼祭
1月 第2日曜日
以前は子供会主催で始まった行事ですが現在は地域の社会福祉協議会と神社との共同開催。といっても餅つき、しめ縄などの分類、ぜんざいの振る舞いとすべて地域の方々のボランティアで成り立っています。神社総代の方々は手作りテントを張っていただき雨天の場合に備えていただきました。神社と地域の手作り行事。これが本来の姿ではないでしょうか。感謝。感謝。感謝。
節分祭
2月3日(豆まき)
130キロの福餅がまかれたのですが、それまでの準備にたくさんの氏子の方がご奉仕してくれます。まずまき割り、こんな風景は現在ではなかなか見れません。奉納されたもち米をせいろで蒸し、紅白の小餅に分けてビニール袋に入れ約3300袋作ります。その間わいわいがやがやとおしゃべりしながら、笑い声が絶えません。
ちゃんぽんとカレーの昼食を皆で食べ結局午後4時までかかりました。でも、とても気持ちがいいのです。皆、幸福感に包まれているのです。地域の神社でなければ味わえない、なんだかほんのりと暖かい雰囲気を守り続けることが私たち田舎の神主の使命だと強く強く感じます。
祈年祭(きねんさい)
5月第3日曜日(清麻呂寄席)
元来「年」とは稲の意味で「一年間」とは稲の成長の周期を単位として表したものです。
祈年祭は「としごいのまつり」とも読み、稲を植える季節に当たり、その年の五穀豊穣と国家・国民の繁栄とを神に祈るお祭り。
夏越祭・燈籠まつり
日々の暮らしの中で知らず知らずのうちに生じた罪穢れを茅輪をくぐってお祓いするお祭り。茅輪(ちのわ)くぐり神事はスサノオの命が授けて茅で作った輪によって悪疫から免れたという神話に由来し、当社でも大型の茅輪をつくりそれをくぐって無病息災をいのります。夕刻からは地域の小学生が作った燈籠を参道に並べ燈籠まつりが行なわれ、多くの親子ずれが訪れます。
敷地祓
9月中
豊前地方に古くから伝わるお祭り。祓戸大神を榊台(ちいさな木製のお神輿)に載せ、秋の例大祭前に神主が氏子地域の家々に出向きお浄めを行う祭です。以前は獅子頭も同行していたのでお祓いを受ける家を「獅子受け」をするといわれました。
観月雅楽会
9月もしくは10月
和気清麻呂公銅像が建立された記念に銅像前広場に舞台を組み月の美しい日を選んで天理関門雅楽会の皆さんによる観月雅楽会が行われます。
笙、篳篥、竜笛などの和楽器のおごそかな音色が鎮守の杜に沁み渡ります。
例大祭
葛原新町楽と団塊神輿
10月
江戸時代までは現在の葛原地区は葛原村、新町村、足立村に分かれておりました。葛原新町楽は新町村の人々によって守り続けられた太鼓踊りで、現在は保存会を結成して広く葛原地区の子ども達により伝統が受け継がれています。
七・五・三祭
11月15日
7歳、5歳、3歳の子どもの成長を祝う日本の年中行事であり、神様の前で今まで無事に過ごしてきたことを感謝し、今後も健やかに成長することをお祈りいたします。
新穀感謝祭
11月下旬
本来は新嘗祭(にいなめさい)といい、全国的に11月23日に行われていました。「新」は新穀、「嘗」は御馳走を食べることを表します。五穀の豊穣を祈願する春の祈年祭に対する神様のお恵みによる豊作を感謝するお祭り。何事にも感謝を忘れない日本人気質の原点とも言えます。たくさんのご神米とご神酒が奉納されます。祭典終了後は新米を炊いて直会(なおらい)が行われます。
除夜祭
12月31日
大晦日の夜に行われる一年最後のお祭り。行く年の無事に感謝し、来る年の安全を祈ります。舞姫による浦安の舞の舞い納めが行われます。