ムラとノラとハラと、そして子供たち
先日読んだ「縄文文化が日本人の未来を拓く」という書物に興味深いことが書いてありました。世界中の文化・文明は農耕生活を始め、ムラ(村)をつくり自然を克服することによって発展したとの考えが主流であるが、この著書によれば日本列島においては農耕が伝播する前、縄文時代と呼ばれる時代が1万年以上も続き、この時代は「狩猟、漁労、採集」によって定住をしムラ(村)をつくって生活をした。そしてムラ(村)はハラ(原)と接し、そのハラ(原)つまり自然を温存し、自然の秩序を保ちながら、自然の恵みをそのまま利用するという生活を実践し続けた。つまり新石器革命で農耕することによって定住するムラ(村)ができ、村の周辺を耕作するノラ(野良)を開墾し自然を克服しながら文明・文化を発展してきた大陸のひとたちとは少し違う発展の仕方をした。そのことが文化的遺伝子として現代の日本人にも受け継がれているというのです。そして世界で最も古いと言われる縄文土器の特異な形状や土偶には縄文人の物語(神話)が表現されておりけっして現代人にくらべて未熟な人間ではなかったと言うのです。幼い時から考古学に興味があり、縄文火炎土器や遮光器土偶になにか不思議な魅力を感じていたのですがこの著書でその意味がよく理解ができました。35年間幼児教育に携わって強く感じることは幼児は3歳は3歳なりに、4歳は4歳なりに完成した人間であり大人から見れば未熟ではあるが決して劣ってはいないということです。幼児の思考に縄文の人たちや神話の世界を多く見ることができます。縄文人のDNAが農耕が伝播した後の弥生の人々にも受け継がれ日本独特の自然観・神観を形成していったのだろうと確信します。
先日、幼稚園の園庭内に新たに作った田んぼ(棚田風にしました。)で子供たちと保護者で田植え(野良仕事)を行いました。少し汗ばむくらいの好天の中、わあーわあー、きゃーきゃーとにぎやかです。鎮守の森(原)を遊び場にする清和幼稚園の子供たちは、もしかすると縄文人の子供に近いのかもしれません。子供たちのお話しの中には神話に通じるものが確かにあります。自然と共存することを大切に考える人間に育ってほしい、そう願ってやみません。