■■■ 和気清麻呂のこと ■■■

   
 

和気清麻呂のこと「道鏡事件」



  道鏡事件が起こったのは769年で和気清麻呂は37歳、近江将監の時。
 僧道鏡が政界に入り、女帝の孝謙(重祚して称徳)天皇から特別深い寵愛を
 得て、太政大臣禅師に、次いで法王となり、最後には天皇の位を望むように
 なった。

 そこへ九州太宰府の主神(かんずかさ)習宜阿曽麻呂(すげのあそまろ)が
 朝廷に「道鏡を天皇の位につければ天下は太平となる」というお告げ
 (神託)をもたらす。天皇は驚き、神意を確かめるために使いを出すこととなり、
 その役に清麻呂公が選ばれた。
 宇佐から帰った清麻呂は死刑を覚悟で、先のお告げとは全く反対の「道鏡を
 除くべし」という内容を神意として言上した。

 これは政治の私物化に対する大抗議でもあった。
 当時の大部分の人は道鏡への譲位に疑問をもっていたにも関わらず、
 左大臣以下だれも声に上げて反対しなかった。
 これに対し命をかけて抗議したのが清麻呂公だた一人だった。

  これにより、清麻呂公は大隅国(現鹿児島県)に流罪となったが、道鏡の
 失脚により都に呼び戻され、平安遷都など平安時代の礎を築く重要な役割を
 担った。

  この類をみない危機に立ち向かった清麻呂公の行動・精神は日本史上に
 一筋の光彩をはなっている。

 「我独慙天地(われひとりてんちにはず)」とは、清麻呂公の言葉。
 直筆の拓本は「湯川水神社」に所蔵されている。