■■■ 神社紹介 ■■■

   

当社の起り(由緒



  当社の創立は、和気清麻呂公の御事蹟に由来するものです。
 称徳天皇の神護慶雲年間(今から1,200余年前)天皇の寵を受け、政界に
 進出した弓削道鏡は宇佐八幡神の神勅と偽り皇位につこうとしました。
 清麻呂公は改めて勅使に任ぜられ宇佐宮に参向し、真の勅使を請けて
 道鏡の意をくつがえした為、道鏡の怒りにふれ足の筋を断たれて
 大隅国(鹿児島県)に流罪となりました。

  途中、公の御舟が宇佐郡楉田村に流れ着いた時、突如、山中から白鹿が
 現れ、公を背に乗せ、左右を二百頭余の猪が守護し宇佐宮へと導きました。
 (日本後記、水鏡による)

 公は神前に詣で、八幡神に罪なきことを乞い奉ると八幡神が出現され、
 「之れより西方十七里の規矩郡竹和山の山麓に温泉あり此所に浴せば
 必ず癒る」とお教えになりました。
 公は、その神託のまにまに温泉に浴すと数日にして足が立ち、それから
 この山を「足立山」と呼ぶようになりました。
 (湯川水神社の境内に今も湧き出ている)

  これより公は、蜂ヶ坂(安部山清麻呂石像付近)に庵を結び住み、
 八幡神への神恩感謝の為、神祠をたてて自ら朝夕に奉齋しておりました。
 これが当社の起りであります。

  その後、宝亀元年(770年)公は赦免され都に帰ることになりました、
 延暦十八年(799年)薨じ給い、それを伝え聞いた里人が清麻呂公の神霊を
 八幡社に合せ祭っておりました。
 下って、弘仁八年(817)清麻呂公の嗣子真綱、勅使として宇佐宮へ
 参向の帰途、蜂ヶ坂に立ち寄り御神誨を仰ぎ八幡社を現在の地に
 遷し奉り、神功皇后、父清麻呂公の神霊を左右の相殿に合祀されました。